雑文「仰ぎ見る不在の虹」
電奇梵唄会奉納ソワカちゃん雑文祭 参加作品
夕餉のひとときはいつものように陰鬱なものだった。
「あなた、テレビ見るかご飯食べるかどちらかにして下さいよ。子供が真似るじゃありませんか」
「あ、ああ」
「この子ったら最近いじめグループにいるみたい。先生が今度3者面談したいって言うのよ」
「あ、ああ」
「あたし、今度ちょびっと私用でチベット修行に行くのね」
「あ、ああ」
「あなたっ!人の話、聞いて下さいよっ!」
聞いている。聞いているともさ。いつもと変わりない日常生活の愚痴だ。そんなところに神は宿らない。
そもそも、この地下世界で神など、どこにもいない。
私。妻。そして息子。
土色の壁に囲まれた土色の食卓で、土気色の顔を付き合わせて私たちは黙々と食事を取っている。
これを幸せと感じる時もあった。
だが今は、文字通り土の中にいるような気持ちにしかなれない。
いずれは息子も、このような家庭を持って、こんな食卓を囲むのだろうか。
そして息子の息子も(あるいは娘も)。
土に埋もれるような日々が土の中に積み重なるだけの私たちに、生きる意味など、あるのだろうか。
テレビでは「キジルシ大百科」とかいう病んだタイトルのアニメがただ流れている。
我が愚息も、別にこの番組を特別楽しみにしているわけではないのだろう。
ただ、テレビがあり番組が放送される。
それを見ることを選択する必要もない。
全く突然、居間の壁が破られ、見たこともないような空色の輝く衣装を身にまとった少女が目の前を駆け抜けていった。
それに続く粗末な衣の少年。口から何かが生え出ている。異形である。
少年は、生首のようなものを抱えていた。
なぜだろう、生首は全てを達観するような、それでいて生気あふれる微笑を浮かべているではないか。
少女と一瞬だけ視線が合った。
「ごめんね」
彼女の口元がそう動くのを、私は確かに見た。
今見た者がなんなのかを考える前に、別の何かが同じ場所から現れた。
その威厳に満ちた佇まいは、私のよく知るものだった。
黒瓜様・・・!
私の上司の上司の、そのまた上司の上司。
どれだけ出世を重ねれば仕事をともにできるか見当もつかない、まさに雲上人。
その黒瓜様も、聞くところではとある「お方」に使える宮仕えの身だとか。
黒瓜様は立ち止まることなく、私たち家族と目を合わせることもしなかった。
当然だ。私たちと黒瓜様とでは身分が違う。
しかし黒瓜様は、勿体なくも私たちに言葉を下された。走り去りながら。美しい声で。
「訳あってここを通らせてもらう。詳しい事情については戦略的(ストラテジック)に判断停止(エポケー)するがよかろう」
精悍な顔立ちを覆面で隠した者たちが後に続く。
そうして、謎の少年少女も、黒瓜様も、お付きの者も、いなくなった。
全ては一陣の風のようだった。
「あ・・・あなた」
「あ、ああ。えーと、もう一杯、もらおうかな」
「はい!はいはいはい!おご飯ね、そうねたくさん炊いちゃったから、お前もおあがり」
「うん。ねえ父ちゃん」
「ん。なんだい」
「虹って、どこに行けばみれるの?」
なんとも唐突な質問だった。我が子とまともな会話をするのはいつ以来だろう。
しかし、私はそれに対する確かな答えを持っていなかった。
単語として漠然と知っているだけで、それが実際になんなのか分からないのだ。
虹、か。
さっきの少女のまなざしは、見たこともない光をたたえていた。
あれが、虹、というものなのだろうか?
私はなんともなしに、土でできた天井を見上げていた。
息子も、同じようにした。
気がつくと、妻も。
ああ、この世のどこかには、きっと美しいものがあるのだ。
私もいつか、虹というものを見ることができるだろうか?
そう考えると、自分の生にも意味があるような気がする。
私たちがここにいることにも。
いつか、虹を見よう。この家族とともに。
私は、そう思った。

陰ながら応援してるぜ!